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廃線になる理由

鉄道が廃線になる理由といえば、一般には利用者の減少などが挙げられますが、中には、利用者が多いからこそ、輸送力のあるものに置き換えるために廃止になった路線もあります。
それは、1980年11月28日に廃止になった南海電鉄平野線があります。
当時の南海電鉄には、大阪軌道線と総称される阪堺線・上町線・平野線の3つの路面電車がありました(阪堺線・上町線は、平野線の廃止から3日後の1980年12月1日に阪堺電気軌道に分社化されました)。
南海平野線は、阪堺線の今池から分岐し、阿倍野で上町線と交差し(天王寺駅前方面から直通できた)、東進して平野(関西本線の駅とはまったく違う場所)までを結んでいた営業キロ5.9kmの路線で、南海大阪軌道線の中では専用軌道区間が最も多い路線でした。しかし、平野線のルートは地下鉄谷町線や阪神高速のルートと重なることから廃止の対象になってしまいました。この路線は、利用者が多かったらしいのですが、利用者が多いがゆえに、輸送力のある地下鉄に置き換えたほうがよいという理由から、廃線になったそうです。
地下鉄谷町線の文の里~平野間は、南海平野線とほぼ同じルートで、その区間内の各駅は、その代替として設置されたものだそうです。
ちなみに、南海平野線の最終営業日と地下鉄谷町線の天王寺~八尾南間の開業日はいずれも1980年11月27日と同じ日であり、1日だけ両線が同時に走っていたことになります。

1月14日追記:南海大阪軌道線には、上記の3路線のほか、大浜支線という路線もありましたが、1949年から休止路線となり、平野線と同時に廃止となっています。