カテゴリ:鉄道のトリビア( 72 )

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「寝台車を改造した普通列車がある」
国鉄時代の特急または急行用の車両で、新幹線の開業などにより余剰となった車両は、一部で普通列車用に転用されたものがありました。主にこれは東北・北陸・九州など、交流電化区間で見られました。その中に、寝台車だった583系電車を普通列車用に改造した車両が登場しました。419系と715系がそれで、前者は交直両用で現在でも北陸本線で使用されています。後者は交流用で、東北と九州で使用され、現在は全車が引退しています。715系のうち1両は九州鉄道記念館に外装を583系に復元したものが展示されています。
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「途中で分割した列車が、再び連結するという列車があった」
異なる行先の列車を連結し、途中で分割して別々の目的地へと向かう列車や、異なる始発駅から来た列車が途中で連結し、いっしょに目的地へ向かう列車はよくあることです。が、国鉄時代には、途中で分割し、別々の路線へ進んだ列車が合流し、再び連結して、またいっしょに目的地を目指すという列車がありました。それは、山陰本線で運転されていた急行「さんべ」です。この列車は、鳥取~熊本間を結んでいたのですが、途中の長門市で山陰線経由の編成と美祢線経由の編成に別れ、下関で両者が再び連結して熊本へ向かうというものでした。(鳥取行きはその逆)1975年までは、これにさらに山口線経由小郡(現:新山口)発着の編成が付いていました。この運転は1979年まで見られました。
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「大正5年1月1日に、4つの『いちのみや』駅が、駅名に旧国名をつけた」
鉄道の駅名は、重複を避けるために、頭に旧国名をつけることがしばしばあります。
大正5年1月1日には、4ヶ所の一宮駅(うち2箇所は『一ノ宮』と書く)が旧国名をつけました。旧国名をつけたのは三河一宮駅(飯田線)、尾張一宮駅(東海道本線)、上総一ノ宮駅(外房線)、長門一ノ宮駅(山陽本線 現:新下関)です。これは尾張一宮駅との重複を防ぐためだそうですが、詳細な経緯は不明です。また、それから1ヵ月後の2月1日には、吉備線(当時は国鉄ではなく中国鉄道)の一宮駅が『備前一宮』となりました。
ちなみに、旧国名が付かない一宮駅は、高松琴平電鉄琴平線の一宮駅(下の写真)のみです。
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参考:「三河一宮駅」「尾張一宮駅」「上総一ノ宮駅」「新下関駅」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。URL: http://ja.wikipedia.org)
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「阪急の西宮北口駅は、線路が十字に平面交差していた」
平面交差(へいめんこうさ)とは、2つの異なる鉄道路線・道路などが同一平面状で交じり合った地点をいう。
(引用:「平面交差」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2008年1月9日 (水) 21:43 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org)
また、西宮北口駅といえば、阪急神戸本線と今津線の接続駅です。また、『涼宮ハルヒの憂鬱』に登場した「北口駅」は、この西宮北口駅です。
西宮北口駅は、1984年まで、駅構内で東西に走る神戸本線と南北に走る今津線が十字に交差していました。路面電車なら珍しくないのですが、通常の鉄道が十字に平面交差している場所は、貨物用の鉄道を除くとここだけでした。その理由は、開業当時は立体交差にするのが難しかったからだそうです。
今津線の線路は、神戸本線の、上り待避線・上り本線・下り本線・下り待避線の計4本の線路を横断していました。この平面交差は約50年使用されていましたが、列車の衝突事故は起こらなかったそうです。しかし、運転保安上問題があるため、今津線を宝塚~西宮北口間と西宮北口~今津間に分断することによって平面交差は廃止されました。

西宮北口駅の平面交差を列車が通過する様子を納めた画像が「YouTube」http://jp.youtube.com/に投稿されていますので、「実際にご覧ください」(「西宮北口」で検索すると出るはずです)

08年11月4日追記
新機能を使って動画を埋め込んでみました

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「日本一長い距離を走る普通列車の所要時間は8時間」
日本一長い距離を走る普通列車は、根室本線の滝川発釧路行きの2429D列車です。滝川を9:38に発車し、釧路には17:38に到着します。走行距離は308.4kmです。8時間という所要時間は、純粋な各駅停車の列車(←ローカル線では、普通列車でも乗客数の少ない駅を通過することがある)の中ではダントツ1位です。ちなみに2位の所要時間は、山陽線・呉線の広~下関間の普通列車で、5時間2分です(623M列車の場合)。
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「新幹線0系は、全車両がグリーン車という編成で運転されたことがある」
0系といえば、今年11月に引退が決まった、初代新幹線車両です。
これは、1974年に、列国議会同盟(IPU)の議員輸送のために運転された編成です。ただし、1・2・15・16号車は普通車でした。この編成は、最初から3~14号車がグリーン車という編成で製造されましたが、編成に使用された車両は一般仕様と同じもので、議員輸送終了後は一般列車と同じ編成に組み替えられました。
1・2・15・16号車がグリーン車ではなかった理由は、1・16号車にはグリーン車が設定されていないこと(注:普通車には普通車用の、グリーン車にはグリーン車用の車両が使用されます)、0系は2両1組のユニットを組み合わせて編成を組むようになっていることが挙げられます。
なお、現在主力となっている新幹線車両(700系など)は、0系とはシステムがかなり変わっているので、オールグリーン車の編成に組み替えることは、改造なしにはできないでしょう。
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「800mしかない地下鉄路線がある」
これは、名古屋市営地下鉄上飯田線のことです。正式名称は「名古屋市高速度鉄道第7号線」といいます。
名鉄小牧線の終点の上飯田駅から名古屋市の中心部へ行くには、そこから離れた地下鉄名城線の平安通駅へ徒歩で行くか、バスに乗るしかなかったため、上飯田駅と平安通駅をつなぐ連絡線として上飯田線ができました。路線は、上飯田~平安通間800mの1駅しかありません。始発と最終以外の全ての列車が名鉄小牧線の犬山または小牧まで乗り入れます。
参考:「ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典」名古屋市営地下鉄上飯田線
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「地上区間しか走らない地下鉄車両がある」
地下鉄車両が地下を走るのは当たり前ですが、中には、地上区間しか走らない地下鉄車両があります。
それは、東京メトロ千代田線の、綾瀬~北綾瀬間(通称北綾瀬支線)で使用されている車両です。この区間は地上区間で、もともとは綾瀬駅から綾瀬車両基地に出入りするための引き込み線ですが、千代田線の支線として、専用車による3両編成の列車がこの区間を往復しています。(本線系統の車両は回送列車としてのみ運行するらしい)地上しか走らない区間のみで使用されているので、地下鉄車両なのに地下を走らないという奇妙なことになっています。もちろん、千代田線の本線系統で使用されていた車両を転用したものなので、地下を走ろうと思えば走ることはできます。

補足トリビア
北綾瀬支線の駅は、JR常磐線に接続する綾瀬と北綾瀬の2つだけ(どちらも地上駅)で、営業キロは2.1kmです。
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「京急空港線は、箱根駅伝の日は、選手を踏切で止めないために特別ダイヤで運転する」
京急空港線の蒲田駅近くには、第一京浜国道の踏切があります。ここは箱根駅伝のコースにもなっています。そのため、選手を踏切で止めないように、通常ダイヤでは羽田空港行きの列車(主に地下鉄浅草線直通列車)を川崎行きに変更し、空港線内は、事前に送り込んだ車両で往復運転をするそうです。そのため、通常ダイヤでは川崎駅で見ることができない京成、北総、千葉ニュータウン鉄道の車両が京急川崎駅に姿を現します。
参考:「キャンDVDブックス 京急おもしろ運転徹底探見」JTBパブリッシング
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「戦後すぐの国鉄中央線には女性専用車が登場したが、化粧品のにおいが原因で廃止になった」
女性専用車といえば、現代の都市圏の鉄道に定着してきましたが、中央本線には古くから女性専用車が存在していました。
最初に導入されたのは1912年で、その名も「婦人専用電車」でした。しかし、導入された理由は男女が同じ車両に乗るのは好ましくないという思想からで、現代とは事情が異なっています。また、短期間で廃止となったそうです。
次に登場したのは1947年で、名称は「婦人子供専用車」です。これは、ラッシュ時の殺人的混雑から女性と子供を守るためで登場したものです。(短期間ながら、京浜東北線にも導入された)しかし、その車内は、女性客それぞれが使用している化粧品のにおいが混ざり合って悪臭がしていたため、1973年に廃止されました。中央線に再び女性専用車が導入されるのは2000年代になってからのことです。

参考:「ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典」女性専用車 他
   
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