<   2006年 11月 ( 13 )   > この月の画像一覧

昨日書けなかったのですが、これは昨日のことです。水曜は昼で授業はおわりなので、だいたい1時すぎには幡生駅にいます。そのとき、幡生操車場を12:55ごろに発車する貨物列車(3074列車)を見ます。昨日、幡生駅の西側の線路沿い道を歩いていたら、操車場からその3074列車が動き始めたのが見えました。いつもはEF210がけん引しているのですが、昨日はEF66の16号機(更新・新塗装)がけん引していました。足を止めて列車をよく見ると、機関車の次に赤いものが見えました。最初はコンテナかと思っていたのですが、それはなんとEH500(14号機:無動力)だったのです。最近は、関門間へのEH500導入に伴い、乗務員の訓練などのために、仙台総合鉄道部のEH500が門司機関区にやってきています。9月末にはEH500の25号機が門司に送られています。(その関係で仙台に戻されたのでは?)
もし昨日の3074列車が通常通りEF210のけん引なら、ECO POWER(桃太郎と金太郎)の競演となっていたところです。
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今日のトリビアはこちらです
「列車の衝突を避けるため、列車を脱線させる設備がある」
この設備は、安全側線(乗越し分岐器ともいいます)、脱線ポイントなどという設備です。安全側線は、衝突事故を防ぐために列車を進入させる短い側線のことで、たいていの場合、その先は砂利が盛ってあります。主に単線区間での行き違いを行う場所や、合流地点など、列車の衝突事故がおこりうる場所に設置されています。そして、列車がオーバーランしたり、赤信号を無視したときには安全側線に進入するようになっています。そのため、赤信号に連動してポイントが安全側線側に切り替わるようになっています。現在はATSの整備により、安全側線はあまり必要ではなくなりましたが、ATSと併用されているところも多いです。また、ATSがなかった頃は、赤信号で停まらなかった列車を停止させることができる設備は、この安全側線しかなかったため、安全側線が原因での重大な列車事故も何件か起こっています。
脱線ポイントは、衝突を防ぐための設備ですが、単に車両を脱線させるだけの機能を持ち、ポイント自体も、可動部分だけが設置されています。この脱線ポイントは、主に貨物用の側線で止めてある貨車がひとりでに動いて本線の運行を支障するのを防ぐために使われます。
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昨日、西鉄のATSについて調べていたら、某掲示板に西鉄のATSに関する書き込みを見つけました。それによって、西鉄のATSのだいたいのシステムがわかりました。
整理すると、西鉄のATSは速度照査式で、速度超過すると保安ブレーキが作動するそうです。西鉄の駅(停車場)の出発信号機は停止現示(赤信号)が定位、すなわち普段は赤になっています。そして、列車が駅に停車する直前か、発車時刻になるまで信号は進行(青)にならないそうです。このとき、出発信号機はCTC(列車集中制御装置)によって停止現示(赤)にさていて、その手前の信号機(場内信号機)は注意現示(黄:制限45キロ)、さらにその手前の信号機(第1閉塞信号)は減速現示(制限70キロ)となっているそうです。また、駅側に踏切がある場合は、信号機とは別に、標識による70キロと45キロの特別な速度照査を受けるそうです。
ATSからは離れますが、西鉄の車両は、600系を除いて、停車駅に近づくと運転台からアラームがなるそうです。また、ブザーによる運転士と車掌の間での停車駅の確認や、マイクによる連絡も行われるそうです。
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昨日、50系客車筑豊線仕様が完成したのでご紹介します。
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今回製作したのはオハフ50-1287です。今回は以前のような1/80モデルではなく、写真を見ての通りNゲージです。車体は画用紙、床板は板目表紙とプラ板です。床下機器は木片を加工したものとキットの余りパーツを、連結部の幌はペーパークラフトの余りを使用しています。台車は休車中の車両から取ってつけていますが、いずれこの車両用の台車を購入する予定です。また、写真では分かりづらいですが、車内には座席と仕切りを作って取り付けてあります。塗装はすべて100均のスプレーで行っています。(赤が少し明るかったです・・・・)
始めにも書いたとおり、これは筑豊線仕様です。通常仕様の違いは、冷房化改造が行われているところにあります。外観上の特徴は、送風ダクトの取り付けのために客室窓が1カ所塞がれているところと、屋上のベンチレーターが撤去されているところです。19両が改造され、最初は日豊線で使用されていましたが、のちに筑豊線に移り、筑豊線の電化まで使用されていました。
この模型は、手元にある既製品の50系客車(オハ50とオハフ50)と組み合わせて筑豊線の普通列車、いわゆるレッドトレインを再現しようと思って製作しました。実際の編成に似せるために、あとオハフ50とオハ50を1両ずつ作る予定です。なお、写真中で前後につないである車両は既製品です。
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「戦時中工事が中止され、戦後、別ルートで工事が開始されたが、再び工事が中止された国鉄路線がある」
これは、広島と島根県の浜田を結ぶ予定だった国鉄今福(いまふく)線のことです。国鉄は、このルートの一部とするため、現在のJR可部線の前身である広浜(こうひん)鉄道(横川~可部)を買収し、昭和44年には、可部~三段峡間(現廃止)が開通しました。島根県側では、昭和8年に、山陰本線下府(しもこう)駅から今福(石見今福)までが着工しましたが、完成直前で太平洋戦争のため工事は中断してしまいました。
そして、昭和44年、今福~浜田間が戦前にほぼ完成していたルートとは別ルートで着工し、昭和49年には今福~三段峡間も着工しましたが、昭和55年に工事は凍結してしまいました。よって、この路線は2回に渡って工事が中止されてしまい、広島と浜田を結ぶ鉄道路線計画は幻となってしまいました。
参考文献:JTBキャンブックス「鉄道廃線跡を歩くⅴ」宮脇俊三編著(1998年)

お知らせ
6月分の記事を削除しようと思っておりますので、見たい方はお早めにご覧下さい。
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平素から私のブログをご覧いただきましてありがとうございます。ついに、このブログの記事数が100件に達しました。(削除した記事もあるので厳密にはすでに100件を超えていますが・・・)これからも宜しくお願いいたします。
※NOTICE
このブログの容量の都合により、今後、初期の記事を削除する予定ですのでご了承ください。m(_ _)m


本題に入ります。
これは2年ほど前のことなのですが、当時、使用で福岡まで行った帰りの列車内でそれを見ました。私はそのとき、先頭車両で運転室越しに前を見ていました。列車は4146M(快速羽犬塚発門司港行き)か4348M(準快速大牟田発小倉行き)で、時間は15時台です。列車が、遠賀川~水巻間の遠賀川橋りょうに差し掛かったとき、前方の信号機が、突然赤になったのです。運転士はすぐにブレーキをかけましたが、信号はすぐに進行に戻りました。とても不可解ですが、この信号変化は1回だけでなく、3回ほど見ています。しかも、いずれも同じ時間、同じ場所でです。通常、3灯以上の信号機で、青から突然赤に変わることは普通ではありません。しかも、水巻駅付近にはポイントもないため、進路関係で赤信号が出ることも考えられません。踏切の非常ボタンが押されたにせよ、同じ場所、同じ時間に何度も発生するという点からでは考えにくいです。なぜこのような信号変化をしたのでしょうか。

P.S先週転落事故があったサティ(13日の記事中にも登場)は、私の在学する市立大と直線で200mほどしか離れていません。
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今日のトリビアはこちらです
「車内で車掌さんに発行してもらう切符は、乗車券ではなく、車内補充券」
時間の都合などで、列車に乗る前に切符を買えなかったときは、車内で車掌さんに言って切符を発行してもらいます。その切符は、正式には乗車券ではなく、「車内補充券」といいます。以前は手書きで発行していましたが、現在は発行機により、自動で発行できるようになっています。

続いてのトリビアはこちらです。
「初期の鉄道の信号機には、白の光が使われていた」
世界初の鉄道が登場してから間もないころのイギリスでは、さまざまな形態の信号機が考案され、19世紀中ごろには、アーム(腕木)の傾きによって情報を知らせる「腕木式信号機」が登場しましたが、その一方で、夜間でも信号を確認できることを目的に、光を使って情報を知らせる信号機が生まれました。当初は、赤と白の光を使っていましたが、白は家の明かりと見まちがうおそれがあることから、緑色の光が使われるようになっていきました。そして、各鉄道会社の信号機を統一したときには、「赤:危険、緑:注意、白:無難」と定められました。緑より白のほうが安全なのです。この方式は、日本の鉄道でも開業した頃に使われていましたが、「進行」(緑)と「停止」(赤)の2つでいいということと、白の光は煙や霧の影響で違う色に見えてしまうなどの理由から、白の光の使用は廃止されました。
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かなりローカルな話になりますが、先日の新聞によると、山陰線の綾羅木~安岡間に、新駅が設置されることが決まったそうです。場所は、両駅のほぼ中間付近で、無人駅だそうです。
下関市内における駅の新設の計画は、以前他にもいくつか出されていました。1つは山陽線小月~長府間のほぼ中間の王司高磯地区付近に駅を新設するという計画があったそうです。具体的な場所は、小月駅から長府駅側に向かって、8つ目の踏切を過ぎたあたりだそうです。もう1つは、幡生駅から新下関側に約500mのところの山の田地区(線路際にサティがあるところ)に駅を作り、幡生駅を現在の場所から少し下関側(幡生操車場のあたり)に移転させるという計画もあったそうです。実際、山の田地区には「今すぐ実現しよう JR山の田新駅」という看板が、かなり前からあります。(少なくとも3年前からあります。)もし、山の田に新駅が開業したら、毎日幡生駅から市立大まで約20分も歩く必要もなくなるのですが・・・・
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マニアックな話で恐縮ですが、今日の帰りのことです。毎週木曜は、幡生発16:44の列車で帰るのですが、私が駅につく頃(16:40ぐらい)に、幡生に到着する貨物列車があるのですが、木曜は、たいていの場合、EF65の単機で、貨車は付いていませんでした。今日は原色のEF65PF(車号は未確認)だったのですが、その次に、なんと回送のEF200の16号機が連結されていました。色は新塗装です。新塗装のEF200を見たのはこれが初めてです。
そしてその数分後、ちょうど私が乗る列車と同時に、山陰線下りホームに、DE10けん引のレール用チキが入ってきました。編成の内容は、DE10-1076+チキ5274+チキ5273でした。
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「『泉北高速鉄道』は、会社名ではなく路線名」
泉北高速鉄道といえば、大阪府堺市の中百舌鳥(なかもず)駅と和泉市の和泉中央駅を結ぶ鉄道路線です。
この、泉北高速鉄道は、正式名を「泉北高速鉄道線」といい、運営する会社は、大阪府などが出資する、「大阪府都市開発」という会社なのです。
ちなみに、大阪府都市開発泉北高速鉄道線は、1971年に中百舌鳥~泉が丘間が、1973年には栂・美木多(とが・みきた←これで1つの駅名です)までが、1977年に光明池間が、そして1995年に泉中央までが開通しました。中百舌鳥からは南海電鉄高野線とも直通運転を行っていて、難波まで行く列車もあります。最初は南海電鉄に業務を委託していましたが、1993年4月1日に大阪府都市開発に直営化されました。
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